佐世保は明治に海軍の鎮守府が出来て以来ずっと軍との関係がある市でもあることで多くの軍遺構が残っています。その軍遺構の一つとして長崎県 佐世保市にある丸出山堡塁砲台観測所跡を訪れてきました。
丸出山堡塁砲台観測所跡について
明治34年に陸軍砲台の観測所として建設されたのが丸出山堡塁砲台観測所跡になります。丸出山堡塁砲台観測所が作られた発端は、対ロシア艦船から佐世保の軍港防禦のために陸軍砲台が複数建設され、丸出山堡塁砲台の24cm 加農砲 4 門、28cm 榴弾砲 4 門からの射撃観測を行うために建造されたそうです。
敵艦への射撃では観測所の標高と目標の水面の高さを底辺とする直角三角形を形作ることで目標の正確な位置を求める垂直基線式を使用していると説明看板には書いてありました。
しかしながら、丸出山堡塁砲台は実戦を経験することなく第二次世界大戦が始まる前の昭和初期には演習砲台となり、昭和 20 年(1945)の終戦により撤去されたそうです。
丸出山堡塁砲台観測所跡の場所:
後ほど説明しますが、丸出山堡塁砲台観測所跡は私有地内なので車で近くまで行くことはできず入り口の看板あたりに車を停めてそこから1kmほど歩くことになります。
丸出山堡塁砲台観測所跡までの行き方
地元の車両以外の進入禁止の看板が立っており、この付近で車を停めてこの道から1.17kmほど歩くことになります。
少し上り坂ですがそこまできついわけではなく荷物の量が少なければすいすいと登っていけます。上の写真の遠くに見えるのが同じく軍遺構の「針尾無線塔」になります。
今年の九州北部は梅雨明けが観測史上最も遅れている年で6月の後半なのに快晴の青空が広がっていました。
最初の分岐で右側を進んでいきます。分岐は何か所かあるもののすべてに行先の標識があるので迷うことは無さそうです。
続いての分岐は左側を進んでいきます。
この後、杉林を抜けていくと道中に何十年も放置されてそうな廃車が…。
そのまま登っていくと
佐世保市が2017年とわりかし最近立てた日本遺産鎮守府の看板を見つけることができます。
この看板が立っている住居を見たら猫の塊が…!今年生まれたっぽい子猫もいたので家族猫がのんびりと休んでいるんでしょうね。
この辺からは完全に私有地の畑道を抜けていきます。そしたら塹壕跡?みたいなのが見えてきたらゴールです。
だいたいスタートから歩いて20分ぐらいはかかりました。
丸出山堡塁砲台観測所跡見学
特に管理人もいるわけではなく、無料で見ることが出来ます。流石に軍遺構巡りする人はそんなにいないのと夕方近くだったので自分ひとりでのんびりと見学。
御影石と煉瓦によって築かれており、とても明治時代に築かれたものとは思えないほどの昔のままの保存状態。
昭和の第二次大戦前中のトーチカなどは、効率と強度を兼ね備えたコンクリートで作られており味気ないものが多いのですが、明治時代の要塞遺構は猿島も含めどれもレンガ造りで美しさも兼ね備えています。
要塞内部は特に奥に行く通路などはなくてこの一部屋のみになります。
奥にはダンジョンの宝箱みたいなのが…さすがにこれは当時のものではないとは思いますが…。
丸出山堡塁砲台観測所跡の前にも説明看板があります。
この看板の隣には上に登れる階段があるので登ってみると
鋼板で構築された上屋を持つ観測所が置かれています。観測所の装甲掩蓋は日本国内で丸出山と由良要塞友ヶ島第一砲台(和歌山県和歌山市)に残されているだけだそうでかなり貴重な存在となっています。
鋼板で構築された上屋はリベット止めで作られており、明治時代からさすがに時間が経っているせいか一部の鋼はボロボロとなっています。天井に上ると壊れる可能性があるので登らないように
内部はこのようになっている。
ちなみに上屋で一番素晴らしいのが、隙間から望む九十九島の景色なんですよね。この光景は素晴らしかった。
もう一つ鋼板で構築された上屋の近くにも建造物は指揮所とのこと。
また、丸出山堡塁砲台観測所跡の周囲には敵艦から兵の移動を隠すために周豪が掘られていました。
とまあ、今回は佐世保市 軍遺構の一つ丸出山堡塁砲台観測所跡を訪れてきましたが佐世保市内にはこのような軍遺構がまだまだあるそうなので、天候と時間があればまた回ってみたいと思っています。こういった軍遺構は時が経つにつれてどんどん風化していってしまいますからね…。今のうちに記録として残しておきたいです。
軍遺構巡りはかつて横浜に住んでいた時に猿島に来訪したことがあります。